03/07/20 京都府宮津市

豪雨も大好き♥。

この恨み晴らさでおくべきか。浦見カブ太郎です。

(解説すると、最初の行のポインツは、1文目が魔太郎の決め台詞であること、2文目が魔太郎の本名が浦見魔太郎であることの複合技なのである。これらがねいさんに通じてるかにゃ?魔太郎は怖いですよ?)

前回は雨、前々回は財布紛失と、ことごとく対日本海戦で敗北を喫したわたし&浦見チームではありますが、いつまでも涙を飲んで黙っているわけにゃいきません。つーか、所詮、いわゆる一つの日本海じゃろ?太平洋育ち、いわゆる一つのパシフィッカーなわたくしの来訪を歓迎しないなんて、日本海のくせに生意気。なんせ面積が違うんですから、面積が。

と意気込んで休日の早起き。晴れているのを確認して、いつものように6:30出発である。今日は3回目でエンジンがかかって「好調な滑り出しですにゃー。さすがは黄色ナンバー様ですにゃー」と頬を緩ませていると、最初の信号でエンジンが止まってしまう。どうなさったんですか、カブ夫さんよぅ。暖機……暖機が足りなかったのか?それとも、愛不足?しばしの間、路肩で難儀する。すでに汗をかきそうな気配なんだが、初っぱなからこんなで無事辿り着けるんだろうか。

さてはともかく、気を取り直して、再出発ですよ?カブ夫殿。30km/hは遙か彼方な世界のことだ。が、しかしあれだね、なんで日曜の朝だっていうのに、173号線は詰まり気味なんですかね?池田さんにそこのところをきっちり腹を割って説明して欲しいものであるけれど、ここの道は、きっとこういうもんなんだと思って諦めるべきなんだろう。通る度に道路に係わる行政について思いを馳せるのはやめにして、自分が173号線沿いの池田市民でないことを感謝して生きた方が、人生、有益っぽい気がする。市民には悪いけど。

それよりか問題なのは、坂道に入り、がくんとスピードの落ちたカブ夫の横すれすれを走り抜けていくお車様である。納得がいかんよな。もし、わたしがふらっと右に振れたら、ちょっとかすりそうな感じのところを走るのはやめていただきたいところである。抜かれることは運命と甘受しているけれど、当てられるのは受入れ難いもんですよ?すれすれ反対運動を実施していきたい気持ちに駆られつつ、前週、チカさんと訪れた質志鍾乳洞の横を颯爽と通り抜け、大きめな橋を渡る。この橋が立派に大きな橋で、なんというか、とっくに大阪府と京都府の境は越えているのだけれど、境界を表わしているような感じがする。例えば、この橋から向こうは日本海エリア(=わたしにとっての非日常)、こちらは山エリア(=いつもの週末大阪)といった具合。川を渡るってことは、何かを越えるってことか。三途の川とかあるし。

小さいが那須与一 何故か立っている“那須与一”という標識。
那須与一がこの辺に住んでるってことなのか?つまりはまだ存命ってことなのか?
悩ましい。

わたしにしては珍しく、ここまで全く道を間違えていない。というか、ずっと173号線を走ってきたので、間違いようがないというのは内緒の話である。綾部のコンビニでトイレを借り、稲川様監修の飴“本当にあった怖い話 恐怖のキャンディ”なるものが売られていて、すごく心惹かれたのだけれど、どうせ買っても菓子は食べないので止めておく。大人の判断だにゃー。

府道9号線を走っていると、左の路肩に“田舎野菜”という手書きの看板が現れた。よくある農家の野菜販売か……と通り過ぎるが、待てよ。マクワ瓜って書いてなかった?真桑瓜。一度通り過ぎたものをUターンして逆戻りする。

憧れの赤いアンチクショウ これが実物の真桑瓜。
こんなに赤い色をしているとは思わなんだ。

本や図鑑で読んで、実物は見たことないけれどずっと憧れていた果実の一つが、この真桑瓜である(ちなみにもう一つはナツメヤシ。中学の世界地図の後ろの方に載っていたのを見て以来、憧れている。いつか貪り食いたい)。何の本で読んだかは忘れたけれど、メロンの原型のような果実であること、マッカ瓜と呼ぶところもあることなんかが断片的にわたしの脳内の情報網の一部を占拠していて、いつかは……!と思っていた一品に、こんなところで出会えるとは……。

感激にむせび泣きそうになるわたしに、近所の人と思しき犬連れのおばちゃんが解説してくれるには、この真桑瓜、1週間前はまだ堅かったそうである。しばらく台所に置いて匂いがするまで待つ方がいいとか。解説を伺いながら、真桑瓜に対する積年の思いを熱く語るヘルメット着用の女って、よく考えたら不審者っぽいよな。

ゲットした真桑瓜は大切に前カゴの鞄の中に入れ、更に府道9号線をひた走る。またしても分岐点っぽい橋があったので、そこを左折して……あれ、178号線に入ってしまった。路肩にカブ夫を止め、ツーリングマップルさんと相談する。9号線が途切れていると思ったのは間違いで、あの55号線っていうのが重複府道なんだろうか?あ!今、わたしの口から“重複府道”とかなんとかいう言葉が出ませんでした?なんか、通っぽくてかっこよくね?

とりあえず、橋を戻る。55号線を走ることしばし、178号線に合流する別の分岐点に出てしまう。このツーリングマップルは去年版なので、道路行政の摩訶不思議により道がああしてこうしてどうにかなったに違いない。まあ、着けばいいか。

178号線を走り続けていると、見たことのある風景が広がり始める。ここって……通ったことあるよな、2回くらい。そういえば、わたしは今までに2回程天橋立に行ったことがあるのだが、2回ともこの178号線、由良浜辺りを通っていたのだった。なんてことない道なのに、なんだか深く覚えている。確か、前回は曇り空、前々回は台風だったと記憶している。今日は、曇り空。晴れた由良浜は拝めないってことなりか。

少々メランコリックな気持ちになってきたわたしの目に、とある看板が飛び込んできた。余りに急なことなので、停まることも引き返すこともなく過ぎていってしまったけれど、あれはまさに人KENまもる君の姿じゃ?すげー、初めて現実社会で使われているの見ちゃいましたよ?ちゃんと使われているんだ。そういや、最近、姪っ子様がアンパンマンの歌をうたうようになったそうだが、叔母たるわたしとしては、滅多に会わない姪っ子様には、そんな人様に顔を喰わせて己が持つ自己犠牲精神にうっとりしている食物野郎よりも、額にかかる髪が“人”を表わすいかしたアルカイック・スマイル紳士に関心を抱く幼女になっていただきたいものである。

海沿い国道をかくかくっと走るうちに、天橋立方面を示す表示が出てくるようになった。さすがは観光地。車も増えだしてきたので、正確な場所を把握していなくともこの列について行けば間違いあるまい。無心の精神でついて行くと、着きました。お車様どもは駐車場を求めてこれから右往左往ですが、ミー&カブ夫はばばばばばーっと天橋立を疾走して、ちくっと神の領域に踏み込んじゃう予定ですからね。悪しからずご了承くださいませ。

恐る恐る人がふらふらと歩き回る土産物屋通りに突入。そして、賢明なるわたしははたと気づきました。

……来る時期、間違えたよな、正直。人の少ない季節、恐らく冬なんかに来た方が楽しく過ごせたに違いない。

曲がって立つ標識 標識にはちゃんと通行可と書いてあり、これすなわちカブ夫様が通行なさるのは当然の権利。

なのだけれど、人にしてみれば、ここをエンジン付きの乗物が通行するとは思っていない節があり、カブ夫のエンジン音→振り返る→ああん?原付が何故?という手順を経て、ようやく道を開けてくれるといった感じ。これじゃ、まるでカブ夫さんが無法者のようじゃありませんか。まあ、わたしだって逆の立場ならそうするけど。絶対。

気まずい気持ちで天橋立を制覇する。後悔なるものは予習はできないが、復習は思う存分にできるものである。天橋立を通らないと恐ろしくぐるっと遠回りをしなければならないので、また来た道を遠慮しいしい引き返すことにする。ごめんなさいね。お邪魔しますよ。と、できることならカブ夫のライト辺りに下がり眉毛を書き加えたい気分で通り抜ける。

さて、行きは間違えたけれども、帰りはきちんと当初の予定通り、府道9号線を通りたい。いささか怪しげな色になってきた空の下、じっくりとツーリングマップルを見る。こう行って、こう行って、こう……。しっかりと頭の中にインプットしたつもりではいるのだけれど、紙と現実は違うもんなんだよな。思った通りにはいかず、おまけに大粒の雨まで降り出してきた。今日も濡れるのか。勿論、カッパなどは持ってきていない。だって、朝に雨が降っていなかった(というか晴れていた)のにカッパなんて持ってきたら、それこそ雨が降るのを心待ちにしているような感じじゃないですか。備えあれば憂いなしとは言うけれど、備え=期待ってことにもなりかねませんか?ほら、虫の知らせとか。

道端でぽつぽつと雫が落ちる地図を見ていると、おっちゃんが不審そうにこちらを見ているのに気がついた。そうよな。今のわたしは気になる存在よな。おっちゃんの心に謎を残してもあれなんで、ここはひとまず道を訊いてみる。訊きたいポイントはひとつ。この道は府道9号線(或いはそれに繋がる道)かどうか?

「どこまで行かはるの?」
えーと……。
「お……大……大江山まで」
途中通るところだし。

おっちゃんが説明してくれるには、この道を行けば大江山には着くとのこと。手短に礼を述べて進もうとするのだけれど、おっちゃんよ、恥ずかしいからあまりじろじろ見ないでください。

何の因果か、また大雨… ぽつぽつの大粒の雨は、すぐさまざあざあの豪雨に変わる。
前が見えない状態でしばし進むことを余儀なくされる。

本来なら無理して進まず、程よい場所で雨宿りなどをすべきなんだろうけど、見渡しても雨宿りに適してそうな場所なんてありゃしない。全身ずぶ濡れになりながら、なんだか悲しい気持ちになってまいりました。こんな夏の休日に、わたしは一体何をしているのでしょうね?カブ夫に心の中で問うてみるが、わたし自身よりもカブ夫の方がいい迷惑に違いない。HONDAさんが意図しているであろう消費者に購入されていれば、1日に3桁km走らされることも、砂利道を走らされることも、はたまた何時間も連続して走らされることも大雨に打たれることもなかっただろう。はいはい、全てわたしが悪いんですよ。

かように、濡れたパンツや靴は人を荒ませるのである。

大江山に入りしばらくすると、雨は止んだ。鬼パワーってやつかしらん?いや、鬼=雷様だから、雨がよく降る方が自然かも。とにもかくにもこの一帯では、やたらと鬼が主張をしまくっているのである。しかも、揃いも揃って盃を持っていたり、瓶子を持っていたりする。アル中の鬼山?なにかの行動療法?

いや、今日は林道へは… ところで、鬼のパンツってほんとうにいいパンツなんだろうか?

程なくして謎は氷解。どうやら大江山は酒呑童子で有名な山らしい。わたしは大江山っていうと、「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」の方を思い浮かべておりました。“ふみ”は“踏み”と“文”の掛詞ですよ?ここ、テストに出ますからね?と、ちょっと知性と教養を滲み出させてしまいました。それよりか、この鞄からも滲み出てる、というかぽたぽたと垂れている雨水をなんとかするのが先決ですけど。

ぐぐぐっと勾配のある道を走る。これがツーリング・マップルさんお薦めコースってことなんだが、9号線は山越えルートなんだろうか?ほんとうにこれは正しい道なんだろうか?嫌な予感がする。いやーな……予感は的中。この道は9号線ではなく、鬼獄稲荷神社へ続く道だった。ついでと言ってお参りしてもいいんだけど、こんなパンツまでびしょ濡れの荒んだ精神状態ではお参りする気も起こらず、すぐさま引き返す。

また山の上 近くの小道の真中に車を停め、楽しげに2人で写真を撮るいい年したカップルを横目に雫を垂らしながら地図を見る。
あんたらは体が乾いていて、それはそれは楽しいでしょうな。
うらやましいことですわ。

カップルを見かけたら脊髄反射で苦言を呈すマイお約束をした後は、ついーっと山道を下り、正規のルートに戻る。しばらくすると、元伊勢内宮という看板が出てきたので見に行くことにする。

もうちょっと何かあるのかと思いきや、2,3軒土産物屋があるばかりの通りを抜けて、駐車場にカブ夫を停める。人気……全くなし。

ぼさぼさの頭を隠すために帽子を被って歩き出すが、頭から真桑瓜の匂いがぷんぷん漂ってきます。願わくば、わたしに小蝿がたかりませんように。足元からはちゃぷちゃぷ音を立て、尻の辺りが変色したジーンズをはき、頭には小蝿をたからせている女子はかなりやばい。通報ものである。

神社にはお約束の石段を登る。苔むしているのもお約束。雨でぶにょぶにょになった湿布が落ちているのも……お約束なのか?お約束を確認しつつ行くと、石段の真ん中に大きな杉の木が植わっているのに出くわした。でかいし。いわゆる一つのご神木ってやつですか?説明書きの札を読むと「麻呂子親王お手植えの杉」と書いてある。麻呂子親王、どなたか存じ上げませぬが、お手植えになられた杉の木がこんなに生長遊ばしていらっしゃるということは、かなりお年を召した方に違いありませんね。というか、お隠れ遊ばしていらっしゃる?(家に帰って調べたら、聖徳太子の時代の人だった。死んでる死んでない騒ぎどころじゃないくらい昔の人じゃないですか)

水平が取れてない内宮 賑わいの全くない内宮。打ち捨てられているのかと思いきや、きちんと神社の人が常駐している。

元伊勢内宮という名前からわかるように、“元”なわけで現在はご神体は伊勢の方に行ってしまっている。つまり、中に神様はいないということだと思うんだけど、それでいいんだろうか?今は違う神様が引っ越してきていますと言われた方が、わたし的にはすっきりするのだけれど。境内を見て回ると、天皇陛下・皇太子殿下夫妻の写真を飾った殿なんかがあったりして、天皇=現人神の時代もあったよなーなどとぼんやりと思ったりする。日本史などをもっとしっかりやっておくと、この辺がぼんやりでなくていろいろと思い出せたりするんだろうなあ。

とりあえず、直線らしい そして、こういった場所は電波的な思想も呼び込んでしまうのである。
怖い人がクケーっと襲ってくる前に、退散しよう。

ちゃぷちゃぷの足を引きずってカブ夫に跨り、9号線を下っていくと、綾部に入り、173号線のいつもの世界に逆戻り。いつもと違うのは乾かぬ尻と足のみである。なんか、大江山って異空間だったよなー、とふやけた足で思うのでありました。